セドナリトリート
「手放しと浄化のセドナ」

LA在住 丸山史緒

1月の雨の日、フェニックス空港に降り立った。出張以外の1人旅はたぶん10年ぶりだった。大統領就任式を翌日に控え移動する人はとても少ない。シャトルの客も他にいないまま閑散とした空港をあとに絵里さんのいるセドナへ。

私にとって2度目のセドナ。
いつかはまたこの地に戻ってきたいと考えていた。そしてその機会は思ったよりずっと早くやってきて、計画のない特別な形で、まるで隣町へ行くような感覚のセドナ訪問となったのだ。

旅から帰ってみて思うのは、昨年の絵里さんとの出会いからすごいタイミングでいろんなことが起こりラッキーの連続。
ずっとセドナに呼ばれていたのが、これ以上ないほど鮮明にわかる旅だった。


Sedona Vortex Healing and Hiking


1日目

まだ雨にけむる有名なBoynton Canyonへ。
男岩と女岩の流れるエネルギーが強く、今も初日の曇り空の写真を見ると心が強く震える。少し前の雨でトレイルもまだぬかるんで、肌寒いためか犬を連れた地元の数人以外は他のハイキング客も見られなかった。
この強い霊気で有名な山で、じっと耳を澄ましトレイルをなでる風の音、空気の冷たさと赤い土の温かさ、山の神様の声を感じ取ってみた。

よく来たね、おかえり、と厚く曇った空に体の内側から抱きしめられた気がした。
私を見ても逃げようとせず懸命に新芽を食べる小鹿のつぶらな瞳や、雄大でミステリアスな岩盤の赤い色や、波動であちこち曲がりくねった木々、紫色の植物のやわらかな葉っぱ、途中のクモの巣に残った水滴のきらめきまでもが総出で私を歓迎してくれているのがわかった。

コロナ禍で世界中が翻弄された2020年が終わった。
私自身も鬱を経験し、長期で仕事を休んだりした。瞑想やヨガに集中し自分を見つめる年ともなっていた。
でもまだいくら瞑想をしても断食をしてもどうもすっきりしない、変わり切れてない中途半端さに気づくそんな中、勤めていた会社からレイオフを申告され、2021年はゼロからのスタート。。。

12月末に日米の愛する友人たちにズームで50歳になったのを祝ってもらったとはいえ今後の自分がどうしたらいいのか、まだ方向性が見えない、健康についても今はおそらく大丈夫だがまさにカラ元気に近く、絶対の自信があるとは言い切れない(腰痛もあるし、健康そうな友人たちが次々に癌になったりしているのだ)。
にこにこ表面上は円満に見える人間関係でも、常にくだらないことに気を使ったりしている、など。


2日目

いざCathedral Rockへ。前日の雨の雲がまだ大きく厚く空に残り、上空の風の気まぐれで刻々と形を変えていくので、足元を見ないといけない私の集中力はしばし途絶えるが、構わないのだ。
この有名なトレイルに絵里さんと2人、今日は鹿ではなく青い鳥が時々鳴くぐらい。
ああ、大統領就任式だから観光客がいないのだ。

2人なので、途中立ち止まりたかったらそこで止まってもいい。誰かと待ち合わせがあるから急いでどこかに行くとか、よくわからない理由であからさまに不機嫌な人がいるからこの時間までに頂上に上ってまた降りるとか、インスタに載せるために夕焼けをこの角度やタイミングで見るとか、そんなことは何も必要がなく、絵里さんにおまかせしていればよかった。

絵里さんとのハイキングはとてもゆっくりと、ローカルのセドナ人のそれだった。Sedonianとでも呼ぶのだろうか。
ごろごろ転がっている溶岩に生える緑のコケを見つけてはセドニアンの絵里さんが可愛い、可愛いという。そんな風にはしゃぐ絵里さんはもっと可愛いと思う。

一方私の目は、何度も顔をあげては執拗に雲を追いかけていた。セドナファンの友人が見てこいという、雲がいっぱいのセドナの空を見上げる。
靴で踏まないようにと絵里さんに教えてもらったサボテンと生物の命がいっぱい詰まった部分だけに気をつけていたら、私の心はだんだん空っぽになっていった。

風が優しく吹き渡るボルテックスの岩の上。頭上の雲が流されて気温が上がってきた。着こんでいたヒートテックを脱いで、絵里さんからアロマを使ってのエナジーワークの続きが行われた。
Gary's Lightという香りで光に包まれているイメージをしてその中を進んで行くセッションだった。

この日の朝、リトリートハウスで朝食をいただいた後、ハイキングにでかける直前にどこでそうなったのか、とある友人の話になっていた。
複雑で不愉快なやりとりとここ数年の人間関係で、私が捉われて苦しんでいることを絵里さんに見抜かれ、その場でアロマを使って手放しと浄化のエナジーワークを受けたあとのハイキングだったのだ。

もう無理するな、こだわらなくていいよ、ええかっこせんと、うそをつかない、いやなことはしなくていい、自分を大事にする。Joyという香りで、本当に心が喜ぶことを、この人生の残された時間で、やるのだ。

私の使命は、私の喜びに一番に忠実に心を燃やすこと。
他の人の顔色をうかがって、他の人の機嫌や喜びに合わせるのはもう十分。多くの出会いでたくさんのことを学ばせてもらったので、ありがとうを言って手放しをする時期が来たのだった。


3日目

観光客の私がどうしてもしたかったこと。それは、早起きして日の出を見に行く。
絵里さんは日本や東海岸のクライアントに遠隔でヒーリングもされているので、実は彼女にとって早起きはとっくに習慣なんだけど、地元の人はわざわざ日の出は見に行かないところを無理にお願いして連れて行っていただいた。

Airport Mesaを見渡す静かな穴場。また、ここも人がいない。そりゃそうだ、寒いし天気予報は曇りのち雨だし、ぶ厚い雲が空を覆っている中朝日を待つような物好きは私たちだけ。キーンと冷たい空気の中、空が美しい色の朝焼けを魅せ、遠くにベルロックを望んでの日の出前の誘導瞑想を受け取る。
優しい絵里さんの言葉が、なぜか骨盤の中に静かに、あたたかく響いた気がした。そして、雲の切れ目からやっとその姿を見せた太陽は、私が思っていた場所とはまったく違うところで、彩雲とともに輝いてくれたのだった。

午後はランチの後お天気が復活し、秘密のトレイルに連れて行ってもらう。明るい空の元変幻自在の雲の形がまた面白くいつまでいても飽きない。Vortexのエネルギーが合うらしい私はどんどん元気になっていく。
雨のセドナも珍しいのだが、裸足で歩ける暖かさになるセドナの冬も珍しいそうだ。うれしくなって、ハートのサボテンを探したり写真を撮ったりして落ち着かない50歳の私。

そういえば砂漠ハイキングでも皆が午睡を楽しむときも、一人でうろうろ石を拾う瞑想をしていたり。そんなハイパーな私に、お気に入りの場所を見つけたら、そこにただじっと座って今ここの大地のエネルギーを受け取りなさい、と優しく本気の目で諭す絵里さん(笑)。


4日目

いつかまた機会があったら、自分を確認するためにもぜひ受けてみたいと思った腸心セラピーを受けることになった。

暖かい温度に調節され良い香りが焚かれた絵里さんのセラピールームのベッドに心地よく横になったものの、若干の緊張が否めない私。
きっと多くの人がそうなのだと思うが、普段ははきはきして人当たりの良いタイプの私だが、実は強いストレスに反応して胃の周りの皮膚がけいれんしたり、嫌なことや極度の悲しみにあったりするとものすごい下痢になるのだ。それが、セッションが始まった途端に、急にお腹全体があったかくなりすぐに完全なリラックス状態になった。

子供のころの思い出などを話しながら、痛い、突っ張る、冷たいなどの感覚があるお腹の気になる部分に絵里さんが優しく手を置くと手の温かさが伝わる。そこからエネルギーが送られ、癒されたら次の部分へと静かに移行していく。そして、自分の腸が動き出すのがわかるのだ。

まったく無駄がなく押し付けのない、ある意味機械的ともいえる一連の流れは、まるで私の腸の動きを読んでいるようだ。小一時間だろうか、「今日取り除いたネガティブな感情は、もう戻ることはありません」との言葉で初めての腸心セラピーのセッションが終わった。。。そしてセッション前と後では自分の腹部がやわらかく変わっていることを確信し、気持ちもとてもすっきりしていた。これまで自分が食べてきたもの、噛み方や食べ方もそうだけど、心で吸収してため込んだものも腸に固まって残っていたんだろうなあ。

このセラピーで、気づかないまま貯めこんできた思いが、まるで空へと戻っていった感じがした。不思議なのに同時に腑に落ちるというか合点のいく腸心セラピー。。。 いつかまた機会があったら、自分を確認するためにもぜひ受けてみたいと思った。


5日目

昨夜からずっと雨。 最終日は、セドナで習った天城流湯治法とヤングリヴィングのアロマを使っての心と体のメンテナンスの復習をしながらゆっくりと過ごす。

出発の前に、リトリートハウスの近くにあるホテルの中の素敵なレストランで美味しいサウスウエスト料理をいただいた。

あっという間の5日間だった。

セドナの赦しを色にしたような、包み込むように赤い大地で自分につながることができたのは絵里さんのおかげです。

ありがとうございました。